第
一 章 メ コ ン の 流 れ に 乾 杯
第1日目 成田 ⇒ バンコク
第2日目 バンコク ⇒ チェンライ ⇒ チェンコーン
■プロローグ
それは1枚の写真から始まった。 ある旅行雑誌に掲載されたそのグラビアには、人々のシルエットと共に、真っ赤に沈む大きな夕陽がとても美しく写っていた。広々とした風景の中には、大きな川と遥か対岸の岸辺が写し出されているだけで、特徴的な建物などは何ひとつ無い。しかし、茜色に染まったその空は、とても心に残る1枚であった。そこには、自分が子供の頃に見た東京の夕陽と同じものがあり、言い知れぬ郷愁を感じる。グラビアのコメントには「メコン川・ラオス」と記されていた。 (メコン川に沈む夕陽が見たい!) そう思ったらいても立ってもいられなくなった。子供の頃からの性分で、やりたいと思ったことは何としてでもやってみないと気が済まないのである。「日本で見る夕陽もメコン川に沈む夕陽も変わらない」と言う周囲の意見にも耳を貸さず、そのグラビアの中に佇んで、いつまでも夕陽を眺めている自分を思い描いていた。 幸いにも妻の承諾は得られた。「どうせ言っても聞かない人だから…」と、諦めが先にあったのかもしれない。本来ならば夫婦二人で行きたいところだが、お嬢様育ちの妻にはアジアが合わないようだ。 「欧米なら喜んで一緒に行くけど、アジアは勘弁してよ」 と、つれない返事がいつも返ってくる。旅行先については自分と好みが異なるようだ。 よって今回も、生水は飲まないこと、危険地帯には足を踏み入れないことと言った毎度の条件で、一人旅を認めてくれた。 職場の上司からは二言三言の、いや、四言五言の嫌味を言われたものの、何とか拝み倒して2週間の夏休みをもらうことに成功した。 自分の旅にはいつもはっきりした計画はない。往復の飛行機だけ決めておき、行った先々で次の行動を決めていくのである。できることなら飛行機の予約も片道だけにしておきたいところだが、サラリーマンの悲しい宿命で帰国日を決めずして旅立つことは許されない。会社を捨ててまで旅に没頭する度胸も財産も無いので、この点は諦めざるを得ない。こんな不良社員ではそのうちにリストラでクビにされるであろうから、そうしたら本当の意味での自由旅に出掛けるとして、今回も期間限定の気まま旅に出発する。 旅に出るのに理由はいらない。しかし、目的を持って旅を続けることは、その旅が活き活きしたものになると思っている。目的は具体的であればあるほどアクセントのある旅ができ、それを成し遂げた時の達成感は格別のものである。仮にその目的がかなわなかったとしても、次回の旅の課題として楽しみを残すことができる。今回の自分の旅には「メコン川に沈む夕陽を見る」という目的ができた。 目指す国はもちろんラオス。まだまだ旅行するにはポピュラーな国ではなく、余計に旅心をくすぐられた。この地でメコン川に沈む夕陽を求めて、川沿いに縦断する予定である。
■国境の町へ
まず目指したのは、タイ北部の国境の町チェンコーン。 日本からラオスへの直行便はなく、タイのバンコクが一般的なゲートシティーになる。そこからラオスの首都ヴィエンチャンまで一気に飛ぶこともできるのだが、自分の足で国境を越えたかったので陸路を選択した。 タイ=ラオス国境で外国人が出入国できる町は空路の他に5ヵ所。南北に縦断するために、最北端の国境であるこの町を出発点に決めたのだ。
午前中の暴風雨も昼過ぎにはすっかり止み、ノースウエスト機は定刻より40分も早く成田空港を飛び立ち、一路バンコクへと向かったのである。 そして同日の夜11時過ぎ、バンコク・ドンムアン空港に到着する。明朝にはこの空港から国内線でチェンライに向けて出発するので、空港周辺に予めホテルを予約しておいた。 空港内のインフォメーションで送迎バスの有無を聞くがなかなか要領を得ず、散々タライ回しにされたもののどうにか目的のバスに乗ることができ、夜中の零時前にはホテルにチェックインすることができた。
翌朝、送迎バスで空港に向かい、国内線カウンターで搭乗手続きをおこなう。 出発までの時間を利用し、空港内の書店にてラオスの詳細な地図を購入した。これで準備万端。颯爽と飛行機に乗り込み、チェンライの町にひとっ飛びである。
飛行機は低空で飛行を続け、バンコクからほんの1時間ほどでチェンライ空港に到着した。空港と言っても、野原のド真ん中に滑走路となるコンクリートを流したようなもので、申し訳程度に建っている小さなターミナルビルもガラ〜ンとしていて寂しい限りである。 ここから国境の町・チェンコーンへはバスで向かうことになる。 空港ビルから一歩外へ出ると、揃いの制服を着たおじさんたち数人に取り囲まれる。 皆口々に「タクシー、タクシー」と誘ってきた。タイ人は田舎町でも商魂たくましかった。 「バスターミナルへ行きたいんだけれど…」 流しのタクシーが無いようだったので、彼らに従うことにした。 カウンターで代金を支払い、一人のおじさんについて行く。 空港前に停められたタクシー(と言っても普通の自家用車だった)に揺られること10分ほどで、賑やかなバスターミナルに到着する。 案内板はすべてタイ語表記なのでまったく理解できず、近くにいた人々に片っ端から 「チェンコーン行きはどのバス?」 と尋ね歩く。 親切な人々に教えられながら、どうにか目的のバスに乗車することができた。 超満員の乗客を乗せたおんぼろバスは、いくつもの村々をゆっくりと巡り、3時間かけてチェンコーンの町に到着する。終点まで乗っていたのは、自分を含めてわずか3人の乗客だけであった。 バスが停車した広場には、トゥクトゥクが1台だけポツンとヒマそうに待っていた。 「ウエルカム、チェンコーン」 ひと昔前のヒッピーのような姿をしたトゥクトゥクの運転手は、やたらと陽気だった。 「どこか良いゲストハウスは知りませんか?」 「希望はあるか?」 「安くて、メコン川の近くがいいな」 あまり希望など無いが、どうせならメコン川を眺めながら宿泊したいものだ。 「よし、任せなさい」 自信満々の顔をした運転手はそう言うと、トゥクトゥクを走らせた。 バスが到着した広場から、町の中心までは1キロほどあるのだが、その田舎道を人力車スタイルのトゥクトゥクはのんびりと走るのであった。
■メコンの流れ
連れていかれたゲストハウスは鬱蒼とした木々の中に建っており、メコン川のほとりに張り出したテラスの食堂に受付があった。 「今晩泊まれますか?」 ヒマそうにしていた宿のおばちゃんに尋ねると、 「ノープロブレム」 宿帳を見るまでもなく即答が返ってくる。 部屋を見せてもらう。各部屋はバンガローになっており、やたらとでかい南京錠がかかった扉を開けると、ベッドが2つあるだけの狭い部屋であった。 隙間だらけの木の壁に穴だらけの網戸、首の回らない扇風機、半ば外のようなシャワー室と手動水洗トイレ(自分で溜めた水を杓で流す)。条件の良い宿とは言えなかったが、この部屋と先ほどの食堂から眺めるメコン川の景色に負けた。手の届くほど近くに悠々としたその流れがあったのだ。メシを食いながら、ベッドで寝ながら、シャワーを浴びながら
―――
メコンの流れと共に生活ができるのである。 「おばちゃん、気に入った! ここに泊まる!」 あっけなく決定してしまった。 チェックインの手続きをしながら、壁の張り紙に目をやると、 『ラオスのビザ取得・45$』 と英語で書いてあった。 「おばちゃん、ここでもラオスビザ取れるの?」 「そうよ。パスポートのコピーは持ってる?」 写真の貼ってあるページのコピーを差し出す。 「OK。明日の11時には向こうに渡れるわよ」 と、おばちゃんは対岸を指差す。 「期間は30日ビザでいいのね」 「いや、15日ビザでいい」 ビザの期間には2種類あり、今回の自分の日程ならば15日で充分だ。 「値段は大して変わらないから30日にしたら?」 「いや、15日で充分です」 「なぜ?」 「2週間後には日本に帰ります」 「たった2週間で?」 「ええ、自分には仕事がありますから」 長期自由旅のバックパッカーばかりを相手にしているおばちゃんにとっては、自分のような旅行者が理解できないようだ。 「いや、途中で気が変わるわよ。だから30日の方が得よ」 何としても30日ビザにさせようと熱心である。しかし、こちらとしてもわずかな額とは言え、必要のないものに金をかけたくない。よって、15日ビザの取得をお願いする。 ラオスのビザは日本でも取得する事ができるのだが、その場合、出入国は首都であるヴィエンチャンに限定され、しかも空路のみの出入国しか認められていない。そして2万円という高い値段を取られるのである。タイ国境の町に行けばラオスのビザは簡単に手に入るし安いと聞いていたので、何の用意もせずにここまでやって来たのだ。
■野犬に囲まれ…
荷物を部屋に置くと、すぐに町の散策に出掛けた。 一本道の両側に商店や家が軒を連ねており、距離にして1キロ足らずの小さな町であった。国境警備のためなのか、町のほぼ中心に軍隊基地があるだけで、その他はどこにでもあるタイの田舎町となんら変わるところはない。 屋台で焼き鳥のようなものを買い食いしながらブラブラと町を行くと、大きな寺があった。通りかかると、ちょうど夕方5時の時を知らせる鐘が鳴り響いた。日本の鐘のようにゴ〜ンと腹に染み渡る音ではなく、カ〜ンといった甲高いものだ。 間近で聞こうと思い寺の敷地に入ると、その音は10メートル程の鐘楼の上から響いていた。鐘の音というのは、どんなものでも心に響き渡るものである。それが日本の寺のものであろうと、教会の賑やかな鐘であろうと。タイのこの甲高い鐘の音ですら、なぜか感傷に浸ってしまう。それは夕暮れといった環境がさらに拍車をかけていたせいでもあろう。 そんな神妙な気持で佇んでいたら、寺に住み着いている野犬が数匹「グウウ〜」と低い唸り声をあげてこちらを威嚇し始めた。これは危ないと思い、その場を去ろうとしたがしつこく追いかけてきた。先ほど食べた焼き鳥の匂いが残っていたからなのか? ここ最近の東南アジアでは、犬に噛まれて狂犬病にかかる被害が多発していることを思い出し、 「向こう行け! シッ、シッ」 とやったが、タイの犬に日本語は通じなかった。 しばらくすると寺の小坊主が出てきて、ヘラヘラと笑いながらこの様子を楽しんで見ていた。 「おい、小坊主。なんとかしろ!」 こちらの必死の訴えが通じ、小坊主は棒切れを振り回して犬を追い払ってくれた。 「小坊主、犬の躾くらいしっかりしておけよ!」 ヘラヘラ笑っていたことに腹が立ち、助けられた恩もコロッと忘れて、そう捨てゼリフをはいて寺を立ち去る。
■カメラマン Mr.川口
ゲストハウスに戻り、夕刻のメコン川を眺めながら夕食にする。 雨季のためなのかメコンの流れは予想以上に速く、ドロ水の濁流と化していた。距離にして300メートルほどだろうか、対岸に明日渡るであろうラオスの町・フエサイが手に取るように見えた。あまりの近さと、小舟が自由に往き来している様子を見ていると、この川に国境線が引かれているなどとは到底信じ難いことである。 それにしても対岸の町は寂しい所である。陽が落ちてあたりが暗くなってきても、あまり灯かりがついていない。こちらから見る限り、人が住んでいるのだろうかと思わせるほど静かである。 そんな風景をぼんやりと眺めながら、宿泊者のほとんどいないこのゲストハウスで食事をしていると、一人の日本人がやって来た。 「日本…の方…ですよね?」 双方ほぼ同時に声をかけた。 彼の名は川口さん。フリーのカメラマンとしてこの5年間、ラオスの人々を撮り続けてきたそうだ。今回もラオスに渡る予定であったが、この町に着いてから高熱が出て、1週間ここに滞在せざるを得ないハメになっていた。 幾度となくラオスに渡っている彼からは、さまざまな実用的な情報を貰うことができた。ラオスに関しての旅行ガイドブックは、ほとんど無いのが現状である。またあったとしても、状況が刻一刻と変化するため、それに追い付けないで役立たずのシロモノになってしまっているのである。こういった国では、生の情報を貰うしか方法はないのである。幸いにして、今後の自分の旅に極めて有益な情報を得ることができた。 体調も徐々に回復してきた彼とビールを飲みながら、夜遅くまで旅の話しにふけった。
written by
ぽから篤
web おやじパッカー放浪記
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