<< NEXT << TOP

   

Destination
 ヤンゴン (Yangon)
 → マンダレー (Mandalay)
 → バガン (Bagan)
 → インレー湖 (Inle Lake)
 → バゴー (Bago)
 → ヤンゴン (Yangon)
  ...about 2 weeks time trip of Asia

アジアの黄昏 −ミャンマー旅行記− 1

第 一 日 目 <バンコク→ヤンゴン>

とうとう私も日記をつけることにしました!約二週間ミャンマーで起きた事についてレポートしたいと思います。

9時40分のフライトでバンコクを発ち、ヤンゴン国際空港に11時40分に到着、便に乗り合わせた旅行者は2、3人、日本人は私一人。まあいつものことだが、空港はとても心配だ!とか言いつつパスポートチェックを無事通過した私は、待っていましたとばかり強制両替の魔の手へ、<強制両替というのは、ミャンマーに外国人が入国する際、300米ドルを国内通貨300FECに両替しなければならないという最低最悪の世界唯一の規則です。> 正面突破を試みたがあえなく撃沈、両替カウンターへ。それなら作戦第二弾、すっとぼけ作戦へ、2人並ぶ女性職員、何を聞かれてもわからない、英語話せません、とねばる。だが相手も強者、絶対諦めようとせず、食い下がる。こうなりゃ第三弾、値切り作戦。私は用意していた$150を出すと、私はこれしか持ってないので、これだけ両替して下さいと言うと、2人は困った様子でひそひそと。しばし待つと、いきなり小声で、いくらか払えばそのまま通っていいと言うではないか。意外な展開。じゃあ$1、だめだ$5、高いなー、脳みそフル回転、どーせ両替したら手数料$2取られる。結局$3取られるならまあいいっか。そして$5払うと何とすんなりと外へ出られた!

何と解りやすい国なのだ、と良い方へ解釈した私は、タクシーの客引きの波の中へ、それをなんとかかわし、MTTのインフォメで地図をget!ここでタクシー料金を聞くと、市内へは$5とか、、、めちゃ高い。さっさと出て取り巻く客引きと交渉、市内まで$2らしい。その中で英語達者なドライバーと、2つのパゴダを廻りつつ、$3と言うことで決着。いざミャンマー市内へ。タクシーに乗るとすぐに風景はミャンマーぽいとても田舎な雰囲気、とても良い。うーんこの国は良いぞと思いつつ、一つ目のカバーエパゴダへ。ほーなかなか、でもブッダの後ろで丸く光る電球はヤメテほしい。2つ目チャックハットジー。ここの寝釈迦がミャンマー1大きいと言うが、こ汚い仏陀でした。途中でスーチー通り発見。ただいまこの通りは閉鎖中で、警官が見張りに付き、入れないとの事。

そんなこんなで、英国コロニアル風の市内に入ると、すぐに目指す Tokyo Guest Houseへ到着。 ホテルのオーナー金子さんは良い感じの人で、$8だが快適な、クーラーの付いたシングルへチェックイン。ついたとたん、ロビーでくつろぎ過ぎ、そこにいた鈴木さんと、とりとめのない話をしながら、3時ぐらいまで中国茶を飲んでしまった!その後、なんとか重い腰を上げ、市内散歩へ。

市内を散歩すると、、、本当にこの国は面白い。他の東南アジア諸国と比べて、50年代の植民地時代の様な雰囲気を残しつつ、ゲームセンターがあったり、スーパーがあったりといろいろな姿を見せてくれる。あと、すぐ気が付いたのだが、この国の人はみな、ロンジーという風呂敷きみたいな布をに巻いていて、ジーパンをはいているのは通りを歩いていて私一人。とても目立つ。これは何とかしなければと思い、まず市場へ行き、両替とロンジー購入へ。アウンサウン市場に着くと、なかなか良いマーケットで、様々な物が売っていて、見物するのに飽きない。なんとなく両替商を探していたが、うっそーん、これが全然無い、そして聞いていた両替屋も見当たらない。それで奥の手、ドルキャッシュを手にぴらぴらさせて歩いていると、タクの運ちゃんが、タクシーかと聞いてきた。Exchangeだというと、2、3人集まってきてこっちだと言う。ついていくと、そこはシルク屋。なるほど、ミャンマーは両替商は禁止、ブラックマーケットなので、こういう形でこっそりやっているのか、と思いつつ交渉する。聞くと、TCはダメで、日本円はレート悪すぎて役に立たない。結局ドルキャッシュのみ有効で、$1=342K(チャット)で両替、そしてロンジーも600Kで購入成功。その後、駅の北口に有る、Leo Express 社で、マンダレー行き翌日バスチケット入手。これでなんとか旅の形が出来ました。

宿に帰ると、何と停電中。聞くと1日の半分は停電で、皆発電機を使って電気をつけていると、クーラーまでは使えずとても暑い。とりあえず、宿で会った鈴木さんと掘下君と、7時に金子オーナーのやっている近くのレストランへ。レストランで話していると、2人とも非行動派で、掘下君はなんと一週間もヤンゴンに埋没してると。この人達何やってるんだろー、と行動派の私は思ったのだが、、、 

第 二 日 目 <ヤンゴン→マンダレー>

ふぅ、昨日は地球の歩きかたを借りて、2時まで起きていたっ。オレってこんなにまめだったけっ、なんて考えつつ、くーらー病でなかなか起きれない。やっと9時前に起き、ロビーにいくと、堀川君はとっくに起きていて、鈴木サンはもう出かけたと。なぬー、、、。

そして体だるだるな私は結局一時間ほどぼーっとした後、なんとか近くのボーダタウンパゴダまで出かける事にした。まあ、何てこと無いパゴダだった。そして戻ってくると鈴木さんがシュエーダゴンパゴダからもー戻ってきていて、昼寝しようとしたが、クーラーが停電で使えなくて暑くて眠れないと嘆いていた。ウラメシヤ停電。非常に体がだるいが、ここで休んだら動けなくなると思い、さっそく今日のメインテーマ、シェーダゴンパゴダへ向かう。死バス43 (5K) とのことだが、ナンバーがミャンマー文字で読めないっ。これかっと思って車掌に聞くと、そうだとの事。ええい乗っちまえ、と言う事ですでに満員のバスに乗って待つが、バスがぜんぜん発車しない。車内はめっちゃ暑いし、隣のインド人はべたべたして気持悪いし、死にそうに。結局20分くらい待って発車。所要10分で到着。 

ここで、実は、当初より観光ポイントでの外国人特別料金、(ミャンマー人はただなのに外国人は$2−5も払わせるという超悪法、しかも拝観料とは別。) この徴収回避の為、ミャンマー人化計画を進めていた私、その骨子を説明しよう。

(1) ロンジーをはく。ロンジーとはインドのサリーの様な、独特の腰巻きで、男女問わずほとんどの人がつけている服である。普通はコットンだが、上等の物はシルクであり、シルクだと$3−10する。ロンジーを着ると日本人はそれだけでミャンマー人との見分けがつかなくなる。

(2) シャツを買う。普通の半袖で、長袖シャツだいたい300−500Kほど、私はお金をけちって、持っている半袖を裏返して着ていた。こうすりゃ無地のよれよれシャツ!

(3) シャンバックを買う。ミャンマー独特の肩掛けかばん。そこにヒレヒレがついてて結構良い感じ。でも日本では派手すぎずかな。この時点で俺はまだ手に入れてないので、ピンク色のビニール袋を鞄代わりにしている。

(4) ビーサンを履く。これは大事。スニーカーを履いているだけで外国人と判断されてしまう。

(5) とにかく何か話し掛けられても話さない事。何もかも無視してどんどん進もう。

と言う事で本題に戻ると、シェーダゴンパゴダに普通に入ると$5も取られてしまう、普通の宿なら1泊できてしまう。ここは一か八か正面突破を試みる。結構人の流れが多く、頂上への階段を流れと一緒に上っていくと、左右に料金ゲートが、外国人は$5カメラチャージ$3と書かれている。ここを無視して階段をがんがん登る。なんと何も起こらないっ!係員が4、5人いるのに誰も気付かない!俺がミャンマー人ぽすぎるのか、単に係員が怠慢だからか。そうこうするうち、無事にパゴダの立つ丘の頂上へ。

さすがミャンマーNO1パゴダ、規模といい荘厳さといい、本当にすばらしい!はずなのだが、ただいま修復中、でもその素晴らしさは十分感じる事が出来た。帰って絵葉書でも買おうっと。途中で道端で売っていたアイスや、アウンサウンマーケットでカレーを食ったりして、宿に戻った。

その後宿を出て、タクシーでバスターミナルへ。ヤンゴン市内の北にあるバスターミナルに着いた。オンボロイバスがたくさん並んでいて、とても不安になったが、タクシーの運ちゃんに連れて行かれると、明らかに日本の中古の観光バスだ!しっかりしたバスで安心した。LeoExpressのバスは定刻どおりの17時に発車し、いざ古都マンダレーへ。

途中でバスが故障し、30分ほど田んぼの中で立往生、道端を散歩していると、そこには無数の光が、そう、それは蛍! 初めての体験に時の経つのを忘れる思い、、、。
 

 

<< NEXT << TOP